ふもふも日記帳。

平成19・21年生まれ2歳差姉弟の子育てブログです(*^_^*)

プロフィール

ちよひな

Author:ちよひな

 

P-Clip


P-Clip β版
 

カウントダウン



*script by KT*

 

--. --. --

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008. 11. 27

祖父が亡くなりました

私の祖父が亡くなりました。享年93歳。

ちょうどこの日は私の仕事が休みで、母と祖父の付き添いを交代するために、優季乃を保育所に預けた足で病院に向かいました。


病院に到着したのが10時過ぎ。
母から祖父は前日の夜から呼吸の仕方が変わってきたことを聞きました。
声をかけてもあまり反応もありません。(後から気づきましたが、祖父は耳が遠いので補聴器をつけていますが、補聴器の電源がOFFになっていたのも原因だったかも。)
尿の出も悪く、白目がむくんでいました。
悪いことばかりではなく、血中酸素濃度の数値は昨日よりも良かったとのこと(担当看護師さん)

私が来たので母は一旦家へ帰る予定でしたが、ためしに祖父の体温を測ったら39度4分。
(頭を触ったら全然熱くなくて。測ってみないとわからないですね)
今まで37~38度台だった体温が一気に高くなったので、心配になり帰るのをやめて引き続き病院に残ることになりました。

この病院で看護師として勤務している妹が遅番で病院にいなかったため、妹に母が今の状況を連絡しました。
他にも母の兄弟にも容態が変わってきたことを連絡しました。

12時過ぎ、私と母はお昼を食べようと病院の中にある売店へ飲み物を買いに行き、また病棟へ戻って休憩室で持ってきていたパンを食べました。
13時過ぎ、従姉妹2人がきたので、私たちも病室へ戻ることに。

病室へ戻ると、祖父が病室を移動する途中でした。
ICUの部屋から個室へ。

13時半過ぎ、遅番で勤務だったはずの妹がきました。忌引きで休みをとったスタッフの分の調整で勤務時間が早まったとのこと。
そして、その日は担当をもたないフリーだったけど、担当を受け持つことに。
私の祖父も妹が担当することになりました。
妹が担当ということで私たちも一安心。

熱は40度を超えるほどになりました。血圧も80をきるくらいに下がってきました。
妹からみんなに連絡をしたほうがいいということで、連絡をしました。

病院には次々と集まってきました。
保育所の優季乃は旦那さんが迎えに行き、旦那さんの実家で預かってもらうことに。

その日出張だった担当の先生も急遽駆けつけてくれました。
担当医師の判断は、今から新しく治療を試みるけど、もって夜~次の日の朝くらいまでだろうということ。会わせたい人には連絡しておいたほうがいいとのこと。

15時ごろから新しい治療が始まりました。
この治療で熱が下がって楽になるとのこと。
私は今のうちに職場に連絡をとって今の状況を伝えようと休憩所へ会社に電話をしにいきました。
その電話の途中でおばから呼ばれたのであわてて病室へいくと、心停止・呼吸停止の状態に。
いきなりの急変に私たちも病院スタッフもびっくりしました。

当初、延命治療はしないということだったけど、担当医師はある程度集まるまで必死に延命治療をしてくれました。
みんなが集まったところで呼吸器を外しました。
15時13分息をひきとりました。

祖父は穏やかな表情で眠ってるようでした。
子どもと孫に囲まれての最期でした。とても幸せだったと思います。

妹から体をきれいに拭いてあげるのを孫でやってあげようとの提案で、孫4人できれいにしてあげることができました。妹が担当看護師でなかったらできなかったこと。
祖父はわかってたのかなぁ。

祖父の入るお棺には、お気に入りの着物といつもかぶっていた帽子、そして入院中に耳の遠い祖父とのやりとりで使っていたノートにそれぞれ祖父へのメッセージを書いたものを入れました。

仮通夜~本通夜~告別式~納骨式~3日7日の法事と慌しく悲しむ暇もなかったけど、昨日今日とやっと落ち着き、家に戻り、香典返しに添えられた母からのメッセージを読んで、また悲しみがこみ上げてきました。祖父は本当に他界したんだと。

『今までお疲れさまでした。天国でまた皆と仲良く・・・』
自尊心が高く、何でも自分でやらなければ気がすまなかった父、身の回りのことは何でも自分で片付けておりましたが、そんな父も2週間前に入院した後は、看護師として働く孫に療養を助けてもらうことがずいぶん嬉しく、支えであったようです。
早くに最愛の伴侶に先立たれ、また耳が聞こえにくいこともあって、人との関わりをあまり持たずに過ごした父の晩年は、寂しいことも多かったのでしょう。
それでも、人に頼ることが嫌いで、私たち子どもにさえ寂しいとは言えない不器用な人でした。
「いくつになっても子供は子供」と、大人になった私達を変わらず子ども扱いしていたのは、不器用な父なりの愛情表現だったのかもしれません。
厳しく叱られたことも幾度かありましたが、それも今となっては懐かしい思い出です。

昨日、祖父の遺影に年末ジャンボ宝くじを供えてきました。
倒れてからも病床で楽しみにしていた宝くじの発売日。
発売日に祖父は間に合わなかったけど、よろこんでくれてるのではないかと思います。

DSCF0556.jpg

COMMENT▼

ご冥福をお祈りします

おじいさん、みんなに見送られて幸せでしたね。
きっとこれからは近くでちよひなさんたちの事を見守ってくれるはず!
いろいろ忙しくて大変だったろうから少し休んでくださいね。

>てぃださま
今、祖父のことも影響してるのかしていないのか、どうも、モチベーションが下がりまくりです(^_^;)
仕事に行くのが嫌で嫌でしかたない(^_^;)
仕事でせかせかしてる分、家でゆっくりさせてもらってます。旦那さんに感謝!

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

TRACKBACK▼

http://lovekitten.blog81.fc2.com/tb.php/342-211f985b

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 

 | ホーム | 

最近の記事+コメント

 

カテゴリー

 

月別アーカイブ

 

リンク

 

FC2カウンター

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。